カスタマーレビュー
おすすめ度:
色んな観点から楽しめる本 
(2009-03-10)
三教指帰および文鏡秘府論の序文について、原文と訳文、そうして原文注釈が掲載されています。
さすが空海と言いますか、原文には様々な故事に依拠した記述がギッシリ詰め込まれているわけで、相当古典に造詣が深くないと読解できる代物ではありません。
しかしそれに対し、原文注釈が偏執狂の如く網羅されているのでご安心を。
時間をかけてじっくりと爪の先まで三教指帰を味わう事が出来ます。
また、訳文も原文の意を損なわない程度に非常に噛み砕いて上手く書かれているので、訳文のみサラリサラリと味わい読んでも、十分に「三教指帰を読了した」と言ってもいいと思います。
<初読・個人的なぶっちゃけた感想>
本書で難解なのは古典の記述になぞらえたくどい言い回しの部分だけで、これ自体は本文の主張とは殆ど関係ないと思う。ここには空海の勤勉さと文才しか見る点はない。
仏教サイドの主張は、よく見ると教理を横並び的に讃じているだけで、逆に儒教や道教ほどに論理立てた説得が為されていない事に気付く。若かりし頃の空海が、仏教の教えを知識としては吸収しつつも、まだ俗界の論理ほどには自分の手足には出来ていなかった事がうかがえる。
青年「空海」の比較宗教論 
(2004-03-08)
今から、約1200年前の著作とは思えない生き生きとした対話となっている。三人の代表者に、その宗派の説く論旨を語らせていく、方法は、どこかで読んだことがある、宗教的なものとは、異なるが、これは、まるで、天文対話や新科学対話、ではないか?そして何よりも、24歳の青年、空海が理解していたと思しき「儒教」「道教」「仏教」を、堂々と開陳しているのには驚く。平成のこの時代に、この様な青年は何人居るであろう?並々ならぬ強固な意志と才能だ、例えその理解が未だ未熟であろうと、なかろうと、探求への情熱と覇気には圧倒される。この様な比較宗教論を書く以上、彼は、四書五経、老子荘子はおろか、仏典の数々、大日経、アビダルマ倶舎論、中論、唯識二十論、摂大乗論を始めとする、当時読めるものの大半を読んでいたのであろう。一体、彼の師は誰なのだろう?私は漠然とだが、三論宗の沙門「道慈」を思い浮かべている,道慈は唐に留学し、吉蔵の弟子元康より「三論」を学び、善無畏三蔵より「真言」を習った。空海に虚空蔵求聞持法を教えたのは、もしかすると道慈かもしれない。道慈の三論宗は、その背後に法相宗の経典「観弥勒菩薩上生兜率天経」に拠る弥勒信仰があった?
空海は,この沙門道慈の教えを受けて、何年にも亘る山中に伏す修行の月日を送ったと考えられる。空海を解く鍵は、この空白の歳月にある、この時、空海は何をしていたのか?
「命の初めに、そして命の終りに」、深い関心を持ち続けた空海だが、彼は、宇宙の最果てに、我々を苦悩から救うであろう「弥勒菩薩」が存在する事を確信したのだと思われる。
例え、それが56億7千万年という遥か遥かの未来の事であるにしても。
漢文は、彼の叔父で、文章博士阿刀大足に習ったのであろうが、インドから直接もたらされた、原始仏典はパーリ語やサンスクリット語で書かれており、彼は、果たしてサンスクリットやパーリ語を読めたのであろうか?
万能の人というのが、空海に対するイメージだ、深い哲学的洞察力、深層心理学の探求、カラクリ的技術の才能、日本三筆の能書家であり、種智院の教育者、その上、土木工学までやる人、おそらく現代に生まれていれば、相当な数学的貢献したであろうと思えるほどの、明晰な論理力、もしかすると理論物理学をやっていたかも知れない。ダビンチとライプニッツを融合させたような人というのが大方のイメージでしょう。
未だ、彼の時代には、近代科学は、その萌芽もない。しかし実験的な科学は確立されては居なかったが、概念のほうの進歩は古代においても著しい。倶舎論などは、素粒子論との比較なども興味深いものがある。
青年空海の大いなる飛翔の一歩として、三教指帰を読んでみるのは面白いと思います。